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Noism08(708asahi)

恐くて懐かしい見せ物小屋
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 開演前の舞台の闇に人形の白い首がばんやり浮かぶ。金森穣の新作はちょっと恐くて懐かしい見せ物小屋だ(3日、東京・シアタートラム)。
 人形たちは黒子に操られ、ぎごちなく物質的に動きながら濃厚な情感を発散する。横抱きにされて、空中で目覚ましい荒業を見せたりもする。
 支配人(宮河愛一郎)はセーラー服の人形(井関佐和子)と抱き合おうと何度も試みるが、相手は力なくくずおれ、失敗。人間同士の気持ち
の行き違いのようにも見えておかしい。彼は今度は人間の女(高原伸子)に同じことをしかけるが、彼女は強く反発し、座を立ってしまう。
 人形と人間の女同士に奇妙な関心が芽生え、鏡のように同じ動作をし始める。意志と物体、主体と客体が錯綜して、人形も人間も変化し始め
る。人形が人間のように支配人を誘惑し、それを見た人間の女が嫉妬して三角関係、更には黒子が絡んだ四角関係に発展。非情陀嘲泊な人形振りに生々しい苛立ちと執着心が混入し、堅くて鈍い動きがいつか目くるめくダンスになるが、動きの主体はもはや判別しがたい。身体表現の見慣れた地平に未知、の亀裂が生じたような、ふしぎな感覚だ。
 第二幕は人形と黒子の狂宴である。無様なポーズでよろける人形のラインダンスも笑えるが、顔のない黒子らが次質感を覿わにし、舞台を跳梁して不気味だ。すべてを動かすのは、実は彼ら。人間と人形、黒子が入り乱れる中、井関と高原の激情的なソロが圧巻である。最後は元人形の女が生身の血ぬれた裸体で床に倒れる。先行のバレエ作品へのオマ
ージュもあって、いろんな解釈が可能だが、中島みゆきの見事なロバクや巧撒なダンスをひたすら楽しむのもいい。
(佐々木涼子・舞踊評論家)

若松孝二(下)712asahi

異境の「戦友」見捨てず
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 口ぶりだけは、へりくだった警視庁の公安刑事たちが突き出す家宅捜索令状をひたすら黙殺しながら、仁王立ちの若松孝二(72)はたたきつけるように怒声を浴びせ続けていた。
 「お願いしますよ、監督。これ(令状)見てください」 「俺は見ない。勝手にバクればいいじゃないか」 「バクれやしませんから。落ち着いてくださいよ」
 「俺が一体、重信に関して、なにをやったというんだけ‥」 PFLP(パレスチナ解放人民戦線)と共闘し、ハイジャックなどの無差別テロを遂行した日本赤軍の最高指導者重信房子が00年11月、大阪府内の潜伏先で逮捕された直後、東京・代々木にある若松の事務所も関係先として捜索された。
 連合赤軍のあさま山荘事件、日本赤軍のテルアビブ空港乱射事件のあった72年以後、重信が逮挿されるまでに若松の事務所は十数回も家宅捜索された。そのつど、住所録が押収され、書き留められていた人物には、ひとり残らず刑事から電話がかかり、若松との関係を事細かに問いただされるのだという。
 「公安警察は俺をテロリストの資金源だと思いこんでいる。だから外堀を埋めて、つぶしにかかった。それでも十一の金を借りてまで映画を撮ったし、いよいよ撮れなくなったら不動産や骨董品、サメのエキスの商売でしのいできた。権力に屈したら、俺は若松孝二でなくなる」
 足立正生(69)を道連れに71年、初めてパレスチナにおもむき、壊滅する瀬戸際のPFLPゲリラの日常を撮った映像は編集され、記録映画『赤軍−PFLP 世界戦争宣言』 (略称『赤P』)となった。
 イデオロギー的共鳴というよりも、全滅覚悟のゲリラに命を救われた恩義に報いる義侠心がつくらせたかのような『赤P』は、武装闘争を提起するプロパガンダ映画でもあった。足立らが赤一色に塗りたくられたバスで巡回しながら、全国各地の大学などで上映したのである。
 この上映運動を、重信の親友で、連合赤軍の粛清で絶命した遠山美枝子も手伝っていた。
 鹿児島で『赤P』を見たという学生が、若松に会うべくはるばる上京してきた。真冬にサンダル履きのみすばらしい身なりをした寡黙なこの青年こそ、テルアビブ空港乱射事件の実行犯となる岡本公三(60)だった。
 兄が赤軍派のよど号ハイジャック犯だった岡本から、アラブ経由で北朝鮮へ渡る相談を持ちかけられた若松は、同情して飛行機代をカンパした。これが若松=日本赤軍黒幕説の発端だ。
 さらに足立も74年、みずから日本赤軍に加わっていた。
 思うがまま映画が撮れなくなっても、若松は年の瀬が近づくと、トランクに餅とあんこと明太子を詰めこみ、レバノンへ旅立った。ベカー高原に日本赤軍の本拠地があった。足立たちを日本の正月気分に浸らせてやろうとしたのだ。首都ベイルートのキリスト教徒地区で90年代に身銭を切って日本食レストランを開いたこともある。見こみ遠
いで長続きしなかったが、彼らが食いはぐれないよう、自活のよりどころにしたかったのだ。
 岡本らとともに97年、ベイルートで逮捕され、00年に日本へ強制送還された足立は語る。
 「若ちゃんは私を、同じ戦場で辛酸をなめた一兵卒同士の戦友のように思っているらしい。面と向かって言わないけどさ」勇気持てと伝えたい
 革命は甘い罠だった。 「僕らの世代ならば、あっさりあきらめてしまうものを。なぜ彼らはやり遂げられると思いこんだのか」。若松の最新作『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』で、父親と同い年の坂東国男役を演じた俳優の大西借満(32)はメビウスの環のような自問自答を止められない。
 山荘で逮挿された坂東は75年、日本赤軍のクアラルンプール事件の「超法規的措置」で出国。若松は、山荘内部で起こったことを粘り強く聞き出した。
 「坂東が言うには、山荘で、兄を粛清で殺された少年の同志から、(粛清は)もうやめようと(最高幹部の)森恒夫に勇気を奮って進言してくれていたら、兄ちゃんは死なずにすんだ、とつぶやかれたときほど落ちこんだことはなかったそうだ。俺が観客に伝えたいのは、『勇気を持て』ということなんだ」
 いまは消息不明の坂東に映画の完成を知らせるため、ベカー高原を今年2月、丸4日かけて捜し歩いたが、ついに再会は果たせず、あいまいな生存の噂だけを伝え聞いた。 =敬称略
(保科龍朗)

映画で権力に逆襲する(704asahi)

映画監督 若松孝二(中) 
いつもどおり上半身になにも身につけない半裸のまま眠りこけていた若い極道の男は内心、すでに覚悟を決めていた。
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 夜明け間際にアパートの戸口をたたき続け、「電報です」としっこく呼びかける唐突な訪問者たちは、観念してドアを開けた起きぬけの男にすかさず手錠をかけ、問答無用で路上へ引きずり出す。57年、東京・新宿でヤクザになっていた若松孝二(72)は、こうして監禁などの容疑で逮捕されたのだった。
 発端はヤクザ同士のもめごとだ。手下の若い衆を痛めつけられた報復に、相手のチンピラを拉致して脅しっけると、腕時計1個を置いて逃げられ、贅察に訴えられたのだという。
 3年の執行猶予がついた懲役刑の一審判決が下るまで拘置所に拘蕪された約半年、若松は悔い改めるどころではなかった。暴力装置と化したときの公権力への怨念と復讐心を、度し難いぼどにたぎらせていたのだ。
 「相手が誰であろうと力ずくでねじ伏せられるのが我慢ならない性分で、反抗ばかりしていたから、懲罰房へぶちこまれっばなしだった。革手錠をかけられ、四方の壁にラバーをはりめぐらせた狭苦しい晴黒の部屋に閉じこめられていると気が狂いそうになる。いつかかならず、贅察の奴らに仕返しする企みばかり一心不乱に考えていた」
 仮に、人生のこのタイミングで身柄を拘束される事件がふりかからなければ、若松は映画監督として世に出ることばなかっただろう。極道の世界を生き接いて、武闘派の組長におさまっていたかも知れない。
 釈放されると真っ先に堅気になったのだ。権力ヘの復讐の企みをあきらめたわけではない。映画のロケ撮影の用心棒をしたときに知り合った関係者を頼って映画界に潜りこみ、映画で願望を成就しようとしたのだ。つまり、警官をぶちのめす映画を撮ろうとしたのである。
 予算300万円、「ヌードの女のうしろ姿を入れる」という条件で監督を持ちかけられ、聾官襲撃シーンを撮って宿怨を晴らした63年のデビュー作『甘い撃がいきなり当たった。こばれたビールと小便の臭気が紫煙と混ざりあってよどみ、男たちにもてあまされた性欲が切なげに殺気立つ60年代の場末のピンク映画館は、若松の映画が上映されるとかならず、大学生や若い労働者で満席になった。
 日大芸術学部に在学中、性器の欠損をモチーフに、閉鎖性の破壊というテーマを表囁ルた前衛的な自主制作映画『鎖陰』を監督して、当時のアングラ映画の新星ともてはやされた足立正生(69)は66年、ピンク映画など一度も見たことがないまま、若松の映画の助監督になった。
 「お前のせいで天気が悪くなった」と怒鳴られるぼど理不尽にしごかれ、殴りつけて決別しようとしたが結局、そうはならず、若松と表裏一体のような因縁でつながれることになった。
ゲリラの惨死に泣く
若松と足立は71年、カンヌ国際映画祭に招待された帰路、パレスチナへ旅立った。
 映画にのめりこむ執念を若松に見こまれ、大半を没にされながら100本を超えるシナリオを書きまくっていた足立は、PFLP(パレスチナ解放人民戦線)がハイジャック戦術を先鋭化させていたパレスチナ問題の学習にも深入りしかけていた。
 事の次第を足立はこう帯る。「パレスチナでは、祖国を追われた奴らがイスラエルを敵に回して解放闘争をやっている。記録映像を撮れば、テレビに売れるって言ったんだ。苦労人の看ちゃんは商売上手な一面もあるから、すぐ乗り気になった」
 このとき、現地で通訳をつとめたのは、赤軍派の海外拠点をパレスチナに創設しようとしていた重信房子(62)である。
 ヨルダン・イスラエル国境地帯のジェラシ山に散開する最前線のPFLP基地にたどり着い軌餌跳㍑酢㍍酢附配㍑ながら、撮影許可を待った。すると1週間後に突如、丸1日で撮影を終え、即刻、下山するよう命じられたという。
 ベイルートまで帰り着いた翌朝、3人は新聞を読んで、悪寒のような全身の震えが止まらなくなった。ジェラシ山の基地がイスラエルとヨルダンの棒攻撃で陥落したと伝える記事と、寝食をともにしたゲリラの兵士が見せしめに鉄条網の柱に絞首された写真が載っていたのだ。
 総攻撃を察知した下山命令で命を救われた恩義に感じ入った若松は、足立と酒をあおりながらむせび泣いた。
 =敬称略 (保科龍朗)

連合赤軍は俺が撮る(628asahi)

映画監督 若松孝二
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 無言のまま、固い決意の念をありったけ届かせようとするまなざしの圧力を、なんの心づもりもなく受け止めてしまったために、酢優の大西倍満(32)は密かにうろたえていた。
 若松孝ニ(72)の『稟録・連合赤軍 あさま山荘への道程』で、連合赤軍幹部の坂東国男役を演じだ大西は昨年末、名古廃駅の間近にある名画座「シネマスコーレ」で、封切り初日の舞台あいさつに立っていた。
 古びた雑居ビルの1階にあるシネマスコーレはわずか50席しかない。元は炉端焼き屋だが、83年に廃業して売りに出されたのを若松が買い取り、自前の劇場にしているのだ。
 圧力の源は座席から身を乗り出し、泣きはらした日で抱きすくめるように大西を凝視する、化粧っ気のない初老の女性だった。彼女は不意に駆け寄ると、こう語りかけてきたという。
 「私はあの時代に血を流し損ねたの。その落とし前をつけるために、今朝はこの事を切り、血を流してから鬼に来ました」
 傍らにいた劇場支配人の本金純治(59)は、心の高ぶりを鎮められない形相に、新左翼運動に身を投じた過去を引きずっているに違いないと直感した。
 このとき、大西とともに劇場を訪れていた若松も、連字を求める彼女の右手の甲に大げさに絆創膏が張られていたことを生々しく記憶にとどめている。いま思えば、それをはがすと、大義に添い遂げられなかった不全感にしがみつかれたままの過去を呼び戻す、決意の藍痕のような傷跡があったのだろう。
 『実線・連合赤軍』を撮り急いだ動機として、若松がしきりに引き合いに出すのは、02年に公開された映画『突入せよー・「あさま山荘」事件』である。
 元審察官僚で72年の事件当時、現場に派遣された佐々渾行の原作を基にした『突入せよー・』を見た若松は、「スクリーンに爆弾を投げつけたかった」ほど憤慨したという。寄集機構のヘゲモニーをめぐる暗闘を措く『突入よ!』は「映画は権力者の視点から撮らない」という若松の主義に背いていたし、なによりも連合赤軍を不気味な殺戟者に仕立てあげていた。
 連合赤軍は粛清のリンチで12人の同志を殺害。長野県軽井沢町の山荘に立てこもり、銃撃で贅察に抵抗した。新左翼運動を破観させたこの事件を、若松は「俺なりに落とし前をつけなくちゃならないから」撮ったのだという。ストーリーの軸を連合赤軍の自壊に絞りこみ、番茶は添え物のような役回りだ。
 「彼らが狂気に駆り立てられた道筋を丹愈に措いてやらないと、不条理な死を遂げた若者たちが浮かばれない。内部でなにが起こったのか、それを知っている映画監督は俺しかいない。だから、どっちみち俺は撮らな
きゃならなかったんだ」
新宿でヤクザになる
 かつてセックスと暴力を過激に融合したアナーキーなピンク映画を畳摩し、反権力の漢学として細められた若松は「腹が立つから、映画を撮りたくなる」という。人生そのものが、皮膚をひりつかせるような怒気にまみれた反逆の表現者だ。宮城県連田郡の農家で、男ばかり7人兄弟の六男に生まれた若松は、地元の農薬高校畜産科に進学すると、札付きの不良で鳴らした。中学のころ、公民館の巡回映画で見た黒澤明の『姿三四郎』に感動して柔道部に入
り、黒帯の腕前だった。高校1年で3度も、けんか騒ぎで停学処分を科された揚げ句に中退、家出して上京する。百姓仕事から逃れたい一心でもあった。
 東京の下町で、和菓子の聯見習いやドヤ暮らしの日雇い働などを渡り歩いたが、や叫 かり7人兄弟の六男に生まれた若松は、地元の農業高校選 に進学すると、札付きの不良で鳴らした。中学のころ、公民館の巡回映画で見た黒澤明の『姿三四郎』に感動して柔道部に入り、黒帯の腕前だった。高校l年で3度も、けんか騒ぎで停学処分を科された揚げ句に中退、家出して上京する。百姓仕事から逃れたい一心でもあった。
 東京の下町で、和菓子の職人見習いやドヤ暮らしの日雇い労働などを渡り歩いたが、やがて正業に就く生き方に幻滅する。
 「かりんとう工場で働いていたとき、田舎から集団就職で来ていた仲間が油の煮えたぎる箋に落ちて死んでしまった。ところが、なんの補償もなく使い捨てられたって聞いて猛然と腹が立ったんだ。そんな人生なら、太く短く生きてやるぜって」
 住みこみの工場を飛び出し、ってを頼って新宿2丁目へ流れ者くと、一帯を仕切るテキ屋の組に命を預けるチンピラヤクザになっていた。 =敬称略(保科龍朗)
 わかまつ・こうじ 36年宮城県生まれ。63年に『甘い麒」で監督デビュー。アングラ成人映画のヒットメーカーにたり、「ピンク映画の黒澤明」の異名で呼ばれた。最新作『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』で第58回ベルリ
ン国際映画祭の最優秀アジア映画賞などを受賞。


「美しい」って死語ですか(707asahi)

森村泰昌さんに、分子生物学者福岡伸一さんが聞く 

人は何を美しいと感じるのだろうか。本来、多様であるべき価値観が揺らぎ始めている。「美」のいまを考える。
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福岡  森村さんは名画の登場人物や女優に自ら扮し、写真や映像作品として再現する美術家として知られています。最近は17世紀のオランダの画家、フェルメールの絵に「侵入」する作品を発表されていますね。
森村 フェルメールの鮮作球場を白分の心と体で味わってみたかったんです。「絵画芸術」という傑作を初めて見たとき、遠近法が少しおかしいと感じた。そこでコンピューターなどで計算して描かれた部屋を再現し、登場人物の画家とモデルの二役になりきってその中に入ってみた。するといろいろなことがわかってくるんですね。例えば2人の位置関係。絵では十分な距離があるように見えるが、実際は1㍍ほどしか離れておらず、ある意味とてもエロチックな空間なんです。遠近法という秩序のある空間を保ちつつ、退屈させない世界が表されている。こういう絵を「美しい」という言葉で呼んでもいいんじゃないでしょうか。
「可愛い」とお金が主役に
福岡 私はフェルメールのことを書くため、オランダや米国の美術館を訪ねました。カメラがなかった当時、絶え間なく動いているものを止めたいがため、画家はびっしりディテールを描き込むが、なかなかうまくいかない。ところが彼は光の一瞬をとらえ、人間が目で見ているようなフォーカスで止めてみせた。でもそこに、次の瞬間にどう動くかという予感も感じさせている。それをとても小さなサイズの絵でつつしくやっているところが美しいですね。
 森村 美意識は、いろいろな人の試行錯誤で生まれる多種多様なものです。何を美しいと感じ取るかも実に多様ですね。
 福岡 ところで最近、「美しい」という言葉が帝られなくな っていませんか。
 森村 おっしゃる通り。80年代後半のバブル経済のころから 「美しい」に変わる言葉として「カツコイイ」が使われ、最近最近は「カワイイ」になった。それ以外の価値観は「ダサイ」という言葉でバッシングをくらい、はやりもの以外は認めない世の中になってきました。いまや「美」が否定されているというよりも、否定しなければならないぼどの重ささえ持ちえなくなってきたと言えますね。
 福岡 価値をはかる一番の物差しがお金になってしまった。
 森村 現代の美術作品も、途方もない金額で取引されている。何かをつくり出すことが重要なのではなく、たくさんお金が動く、つまり経済効果が目的になっている。「マイナーであり続けることがメジャーにつながる」というところが本来の芸術のおもしろさなのに、明らかに主客が転倒しています。
 福岡 そうなると、結果だけが評価され、プロセスはどうでもいいということになります。

水着問題があらわす美意識の衰え
 森村 競泳の水着問題も同じだと患いませんか。英国のスピード社製ならタイムが速くなるとして、選手が別のメーカーと契約しているにもかかわらず、日本水泳連盟はオリンピックでメダルを取るため着用を自由にした。「約束は必ず守る」という美学がへ簡単に「勝ったもん勝ち」に静が変わってしまう。何が美しい生き方かということよりも、1等賞になれるかどうかが価値判断の基準になっている。科学的発明や発見綻よって人類の価値観の榛底が滞らぎ、弟議で持嘗」たえることが不可能な地殻変動が起きている、ということかもしれませんね。
 福岡 同感です。例えば生命現象でいうと、蜂の巣の六角形は実際にはいびつで、どれ、つとして同じ形はない。でも秩序がありながらも揺らぎがあり、動的なサイクルとして1回限りで生み出されている。こうした現象を私は美しいと患う。なのに「ここがいびつだから生えて効率を上げよう」といった工学的操作が盛んになり、そこに国家予算がついて科学の成果の指標になっている。私からみるとそれは美しくない。原子力発電所も遺伝子組み換え食品も安全かどうかだけが問われ、安全なら受け入れざるを得なくなっている。美か醜かという判断基準は成り立たなくなっています。
 森村 昨年の12月にニューヨークにいたのですが、ロックフェラーセンター前のイルミネーションが発光ダイオードになり話題になっていました。消費電力が減り、熱を持たないから木に巻いても安全。さらにブルーという色は精神を安定させ犯罪が減ると。しかし生きるっていうことば本来、熱を持つことですよ。僕は赤い光に感動する。自宅ではまだ電熱器を使い、お餅とかを焼いている。チチチと音が鳴り、体の中に熱が染み渡ってくる。音のしない発光ダイオードの不気味さを、どうしてみんな感じないんだろう。それがよしとされるのは安全で安心だからで、自分にとっての「美」とは何かは問われない。
 福岡 発光ダイオードの光が新しい知覚として現れたとき、美しいと思う人もいます。しかし、それは死んだ光の美しさという、ある意味で怖い美しさでもある。美しいと感じるものの裏に美しい怖さもあって、その播れというものが大切なのに、それを少しずつ見失ってきているのかもしれません。
 森村 何が美しいかということと、それが安全で安心、つまり真とか善であるということは、しばしば矛盾する。そういう面を持っているのが人間だ、というところが抜け落ちているような気がするんですね。何が美しいかを、どれだけ伝えることができるか。美術や芸術をやっている人間にとって、最も重要な仕事なんだと思います。
美術家と研究者の共通点
       ▼対談の余白に福岡伸一
 科学的にみて「真である」 「偽である」。倫理的に考えて「善である」 「悪である」。そのような価値判断は、私たちに対して均質化の「圧力」として、しばしば賛同を迫ってくる。
 森村さんと話して明らかになったことは、美しいか美しくないかの判断だけが、それに対抗しうる「基準」だということだ。なぜなら美しさの判断は極めて個人的なものだから。その白由度が大切にされない世界は息苦しい。
 森村さんはかつて、とても内向的な少年だったそうだ。美しいと思うものを、自分の内側へ内側へと追っていた先に、やっと表現への出口が見つかった。この感覚は、私たち研究者の探求のあり方にもつながる。


1978、冬(613asahi)

あの時代の気分を描く
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 中国の文化大革命が10年つづいて、社会にも人々の心にも大きな傷を残してやっと終わったのが1976年の秋で
ある。この映画はそれから間もない頃の中国の北方の小都市の若者たちを描いている。
 大きな工場のある町に活気はない。人々は仕事にも手がつかない風情であり、僅かな楽しみの演芸会でもまだ毛沢
東礼賛の芝居を惰性のようにやっている。これからどうしたらいいか、まだ方向は見えてこないのだ。
 そんなわびしい情景も、その時代に幼年時代を過ごした世代であるリー・チーシアン監督にとってはかけがえのな
いなつかしいものであるからであろう、なるぼどあの時代はそんな気分だったのかということが、いちいちくっきり
と分かるように描けているところが見事である。何をしていいか分からないような状況の中でも若者たちは恋をする。恋の仕方を教わることもなかったから、不器用で、乱暴だ。そろそろ兵隊に行く年頃の青年スーピンは、北京からやってきた都会的な少女シュエンに恋をする。彼女はたぶん文化大革命で迫害された知識層の娘で、この町には逃げるようにしてひとりでやってきたのである。スーピンには彼女はまぶしいほどに美しかったに違いない。
 彼女に会うために無茶をするスーピンは、そのために町では不良と言われている。その弟の11歳のファントウも、
不良の弟だからお前も不良だろうと悪ガキたちにいじめられるが、弟としては兄貴とその恋人を絶対支持だ。しかし
3人は孤立し、それぞれに孤独である。その不幸な愛の終わりが成長した弟のせつない思い出として語られる。貧し
く厳しかった時代によせる心情あふるる佳品である。
 (佐藤忠男・映画評論家)
 14日から、東京・渋谷のユーロスペースほか順次公開。

(607asahi)

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∇7月1日に福島市と合併する隣接の福島県飯野町が、消える町名を星に残した。オーストラリアにある天文台の命名権を買い、無名の小さな星に「IinO−maChi」という愛称をつけた。
 ∇いて座の弓を引く射手のこめかみ辺りにある3等量=図。「合併後も地域の理想を狙い続ける」との願いを込めた。合併直後、真夏の夜空に肉眼でも確認できるという。
 ∇夏に輝く星として、もう一つ、さそり座の2等量も候補になった。こちらのぼうが明るく見やすいが「サソリの毒をもって合併するのは相手に失礼」と配慮したとか。

問われる鑑賞教室の意義(606asahi)

世界的な画家・横尾思則さんの展覧会を鑑賞する小学4年生向けの「美術鑑賞教室」が、急きょ中止された。東京都世田谷区立の小学校の約3分の1が参加する予定だったが、校長会の要請で、区教育委員会が決めたという。なぜなのか。(宮坂麻子)
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 「少年探偵団」や「怪人二十面相」をモチーフにした絵、各地の「温泉」……。約700点の横尾作品を鑑賞するため、週末の世田谷美術館には千人以上が列をなす。
 それぼど人気の企画展「冒険王・横尾思則」を、区内の小学4年生が5月14日から、順次鑑賞する予定だった。
 区立小の4年生は年1度、世田谷美術館で鑑賞ボランティアの解説で作品を見ている。どの企画展を選ぶかば、学校の白由だ。今年は全64校中、22校が「冒険王」を選んだ。
 「再考してほしい」 企画展が始まって間もない4月23日、小学校校長会から区教委に突然、要請があった。前日に下見した一部の教師から「過激ではないか」などと懸念の声が上がったことがきっかけだった。作品の中に、裸体の女性や男女の性行為、ナイフを持つ少年などが点在していたからだ。
 慌てた区教委は、教室開催を中止。しかし、小学校の大半は移動用のバスを予約していた。急きょ、見学先は「ファーブル昆虫記の世界」展が開かれていた近くの世田谷文学館に切り香えられた。
 区教委は「要請を受けて見に行ったが、冒険王は4年生には理解しにくい内容だった。ファーブル展にも崖虫のジオラマや絵はあるので、美術鑑賞になる」と説明する。
 また、同教室運営委の永山満義委員長は中止の理由を「委員会では実務ばかりで内容の吟味はせず、作品の写真も1、2枚しか見なかった。連絡を受けて初めて展示を見て、保護者からどんな声が出るかと危倶した」と語った。
 5月1日に中止を通告された美術館は、180人の鑑賞ボランティアを解約。勅使河原純副館長は取材に「釈然としない」と疑問を示した。ただ「区教委の主催事業なので仕方ない。芸術から性的な要素は外せないのに」と首をひねるだけで、きちんとした議論はまだしていないという。
 過去には、裸体などの作品があっても教室は行われてきた。美術館と連携した美術鑑賞は文科省も02年度の学習指導要領から重視。ある小学校図工教師は「あまりにこっけい。子どもに何を伝えるのかきちんと考えていなかった結果」とみている。
 鑑賞ボランティアの女性は悔しがる。「私たちを倍額してもらえなかった。子どもは大人とは違った見方をする。実際に小中学生も見にきているけれど、目を覆ったり騒いだりしている子はいない。もっと子どものことを考え、話し合って欲しかった」
 鑑賞事業は中学生向けにも行われている。しかし、チケヅトを配り、各自で行く方法なので「問題ない」という。
 首都大学東京の長田謙一教授(芸術学・美術教育静)は盲険王を見て、小学生が非常卿に楽しめる企画展と思った。「絵に隠されたモナリザなどを探すうちビジュアルの世界に楽しくとり込まれ、見ることの意味にも思い至る作品展。区教委は中止決定で美術鑑賞にたがをはめる重大結果を招く前に、展覧会にも鑑賞教室の意義にも即した努力ができたのでは」という。横尾さんに対し、区教委からは、いまだきちんとした事情説明はないという。
 メモ
横尾忠則=写真 1936年兵庫県生まれ。グラフィックデザイナーから、80年代に画家に転身。昨年、世田谷区の特別文化功労者にも選ばれた。07年度の教科書換定で、出版社側が高校美術の教科書に収録しようとしたポスターが「健全な情操の育成に必要な配慮を欠いている」と意見がつき、差し替えられた。15日まで開催の「冒険王」展には、その原画も展示されている。27日から兵庫県立美術館でも開催される。

「芸術は本来、過激」横尾さん談話
 区教委に過激だと言われても、ちっともうれしくないですね。ちなみに僕の展覧会はその区教委が後援しているんです。僕は白分の作品が過激だとは少しも思わないけれども、芸術というのは本来、過激の歴史ではないでしょうか。区教委の懸念に反して、子ども連れの観客がかえって増えているらしいですね。美術館が区教委に対して「釈然としない」と意思表明したことは、公立美術館として勇気ある対応だと思います。
問われる鑑賞教室の意義

義太夫に合わせ江戸の猟奇的絵巻(606asahi)

明日から下北沢で上映
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 巨を覆いたくねる猟奇絵なのに、なぜだか、血の小躍りをとどめられない。江戸の絵師岩佐又兵衛作とされる150㍍に及ぶ極彩色絵巻を、ド
キュメンタリーの羽田澄子監督が新曲義太夫節に合わせて撮った映画「山中常盤」=写真=が7∫27日、東京・下北沢トリウッドで上映される。
 美術史家の辻惟雄が「どぎつさと生なましさに満ちた……異常な嗜虐的情熱が感じられる」と評した異端の逸品。牛若丸を案じて旅に出た母常盤が美濃山中で盗賊6人に襲われ惨殺される。年若は超人的な働きで盗賊をめった切りして敵を討つ。鮮血に染まった豊胸をしどけなくむきだす常盤の死は粛艶だ。
 近世初期「人形浄瑠璃の人気演目だったが、楽曲が途絶した。文楽の鶴渾清治が絵に残された詞書を基に節を付けた。英帝字幕付き。新内節の鶴賀若狭橡を迫った附田博監督のドキュメンタリー「招魂」も上映。各1300円。トリウッド(03・3414・0433)。

手の中の虹

好きな時に見られる
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 「虹? しばらく見てないな」という人に試してぼしいのが「RAINBOWIN YOUR HAND(手の中の虹)」という小冊子。パラパラまんがの要領でサーッとひと息にめくると、手のひらサイズの虹が現れる。子どもや孫へのちょっとした贈り物にいいし、大人も思わずぼおがゆるんで会話がはずむ。
 樅6センチ、横13センチの黒い紙が36枚とじられ、各ページの同じ位置に7色の小さい四角が印刷されている。めくった時の残像を利用して立体的な虹を生み出すアイデアは、アムステルダムを拠点に広告の仕事をしている川村真司さんが考えた。ウェブサイトで紹介するとフランスなど海外からも反響があった。
 きれいな虹を作るには「ページをなるべく大きく開いて、一気に速くめくるのがコツ。暗めの背景の前でやや斜めからだと、さらによく見えます。一番見やすいめくり方を見つけていくのも楽しみ方の一つだと思います」と川村さん。うまく見えたときの亭びはひとしおだ。1050円(税込み)。問い合わせはユトレヒト(電話03・5856・5800、午後2〜8時、日・月曜定休 http://www.utrecht.jp)。
      (ライター・仲宇佐ゆり)

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